2024年11月17日、兵庫県知事選挙で斎藤元彦前知事に13万票以上の大差で敗北した稲村和美元尼崎市長。
阪神・淡路大震災のボランティア活動から政治家を志し、神戸大学在学中に「神戸大学総合ボランティアセンター」を設立。
証券会社を経て2003年に兵庫県議会議員に初当選、2010年には38歳で尼崎市長に就任し、当時全国最年少の女性市長として注目を集めた稲村和美氏。
尼崎市長3期12年の間、暴力団事務所ゼロを達成し、財政再建に道筋をつけた実績を持ちながら、「政治家は引退する」と表明。
しかし2024年10月、斎藤元彦前知事の失職に伴う知事選に出馬を決意した。
大阪生まれ、奈良育ち、神戸大学から証券会社、県議、市長へと歩んだ経歴、尼崎市長としての実績、そして知事選敗北後の「引退宣言」の行方──稲村和美氏の政治家人生を徹底解説する。
稲村和美のプロフィール

https://twitter.com/
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 氏名 | 稲村和美(いなむらかずみ) |
| 生年月日 | 1972年(昭和47年)11月10日(53歳・2025年時点) |
| 出身地 | 大阪府生まれ、奈良県育ち |
| 学歴 | 奈良県立奈良高等学校卒業、神戸大学法学部卒業(1996年)、神戸大学大学院法学研究科修士課程修了(1998年、法学修士) |
| 経歴 | 神栄石野証券(現SMBC日興証券)(1998年〜2002年)、兵庫県議会議員(2003年〜2010年、2期7年)、尼崎市長(2010年〜2022年、3期12年) |
| 現職 | 元政治家、株式会社栄水化学顧問(2023年〜)、NPO法人ASKエグゼクティブアドバイザー(2024年〜)、神戸新聞客員論説委員(2024年〜)、園田学園女子大学客員教授(2024年〜) |
| 家族 | 既婚、夫と娘の3人家族 |
| 政治姿勢 | 無所属市民派、みどりの政治運動(緑の党グリーンズジャパンのサポーター会員) |
稲村和美氏は、阪神・淡路大震災のボランティア活動から政治家を志し、兵庫県議会議員2期を経て、2010年に38歳で尼崎市長に就任。
当時、女性市長としては全国最年少であり、3期12年にわたり財政再建や暴力団排除などの政策を推進した。
2022年12月に尼崎市長を退任し、「政治家は引退する」と表明したが、2024年11月の兵庫県知事選挙に出馬。斎藤元彦前知事に敗北した。
詳しい経歴──阪神大震災ボランティアから政治家へ

大阪生まれ、奈良育ち、そして神戸へ
稲村和美氏は1972年11月10日、大阪府で生まれた。
両親と妹の4人家族で育ち、子どもの頃はピアノの先生になりたいと夢見ていた。
小学校・中学校・高校とずっと音楽系の部活・活動に打ち込んだ。
- 小学校:吹奏楽
- 中学校:ギターマンドリン部
- 高校:軽音楽部
奈良県立奈良高等学校(偏差値70の超優秀な進学校)を卒業後、一浪して神戸大学法学部に入学。
大学入学後、稲村和美氏は「実は社会学に興味があった」と気づいたが、それでも法学部での学びはその後の財産になったと語っている。
阪神・淡路大震災とボランティア活動

1995年1月17日午前5時46分、阪神・淡路大震災が発生した。
神戸大学法学部に通っていた稲村和美氏は、この大震災に大きな衝撃を受ける。
実家の奈良から神戸に通っていた稲村和美氏は、周辺大学ではボランティアセンターが立ち上がったが、神戸大学の動きが鈍かったことに疑問を感じた。
稲村和美氏は、避難所でボランティアとして被災者の支援活動に携わり、「神戸大学総合ボランティアセンター」を設立し、初代代表に就いた。
阪神・淡路大震災での経験:
- 避難所運営のサポート
- 被災者の生活支援
- 学生ボランティアの組織化
この経験が、稲村和美氏を政治の世界へと導くきっかけとなった。
稲村和美氏は、「震災を経験して、政治や行政の大切さを痛感した。市民と一体になって街を再建する姿を見て、自分も何か役に立ちたいと思った」と後に語っている。
証券会社から政治の世界へ

1996年、稲村和美氏は神戸大学法学部を卒業し、神戸大学大学院法学研究科修士課程に進学した。
1998年、法学修士の学位を取得し、神栄石野証券株式会社(現SMBC日興証券株式会社)に入社。
証券会社では、営業部門と人事部門に配属され、マーケティングと組織マネジメントの経験を積んだ。
しかし、証券会社での仕事に従事する一方で、稲村和美氏は政治への関心を捨てきれずにいた。
政治の世界への準備:
- 1997年から尼崎市議会の会派「市民自治クラブ」でスタッフとして活動を開始
- 地方政治の現場を学ぶ
2002年、稲村和美氏は証券会社を退職し、尼崎市長選挙に立候補した白井文氏の選挙事務所でスタッフとなった。
白井文氏は、尼崎市初の女性市長として2002年に当選した市民派の政治家であり、稲村和美氏にとって政治の師匠的存在だった。
兵庫県議会議員2期7年(2003年〜2010年)

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2003年4月、稲村和美氏は30歳で兵庫県議会議員選挙に無所属で立候補し、初当選を果たした。
県議会では、会派「市民自治クラブ」に所属し、教育、福祉、子育て支援などの分野で活動。
稲村和美氏は、2007年の県議会議員選挙でも再選され、2期7年にわたり県議を務めた。
県議時代の活動:
- みどりの政治運動への参加
- 「虹と緑」や「みどりのテーブル」を経て「みどりの未来」に参加
- 「みどりのテーブル」で共同代表
- 「みどりの未来」で共同代表(2008年〜2010年)
2008年11月、「みどりのテーブル」と「虹と緑」が統合し「みどりの未来(後の緑の党グリーンズジャパンの母体となった政治団体)」が発足。
稲村和美氏は、井奥雅樹氏(兵庫県高砂市議)と共に共同代表を2010年9月まで務めた。
2010年、稲村和美氏は尼崎市長選挙への出馬を決意し、共同代表を辞任した。
2010年尼崎市長選挙──38歳全国最年少女性市長の誕生

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白井文前市長からの引き継ぎ
2010年9月、稲村和美氏は「未来へつなぐ尼崎の会」の支援を受けて尼崎市長選挙への立候補を表明。
表明の翌日、稲村和美氏は県議会へ辞職願を提出した。
稲村和美氏が市長選に出馬した背景には、前任の白井文市長との関係がある。
白井文氏は、2002年に尼崎市初の女性市長として当選し、2期8年務めた。

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白井文氏は、市民派の立場から尼崎市政の改革を進めたが、2010年に3期目への出馬を断念。
稲村和美氏は、白井文氏の選挙事務所でスタッフを務めた経験があり、白井文氏から市民派女性市長の系譜を引き継ぐ形で出馬を決意した。
市民派女性市長への期待
尼崎市は、兵庫県の東の玄関口に位置し、大阪との往来が多い工業都市である。
尼崎市の特徴:
- 市外局番は「06」(大阪と同じ)
- 阪神工業地帯の中核
- 公営ギャンブル(競艇)の開催
- 暴力団がはびこる温床
尼崎市は、高度経済成長を担った工業都市として栄えたが、その一方で暴力団事務所が多数存在し、治安の問題を抱えていた。
稲村和美氏は、「地層の厚い(ディープな)街」である尼崎の課題に正面から向き合うことを公約に掲げた。
稲村和美氏の主な公約:
- 財政再建
- 暴力団排除
- 子育て支援の充実
- 市民参加型のまちづくり
38歳全国最年少女性市長として初登庁

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2010年11月、稲村和美氏は尼崎市長選挙に無所属で出馬し、当選を果たした。
38歳での市長就任は、当時、女性市長としては全国最年少だった。
2010年12月、稲村和美氏は尼崎市長に初登庁し、市民や職員約300人に迎えられた。
初登庁での挨拶:
「尼崎市の未来を、市民の皆さんと一緒につくっていきたい。私一人の力では何もできない。『オール尼崎』で街を変えていこう」
稲村和美氏は、市長就任後、市民との対話を重視する姿勢を貫いた。
「未来へつなぐ尼崎の会」の支援
稲村和美氏の市長選挙は、「未来へつなぐ尼崎の会」という市民団体が支援した。
この団体は、白井文前市長を支えた市民派の人々が中心となって結成されたもので、政党の推薦を受けない「市民派」の選挙を展開。
稲村和美氏は、尼崎市長3期を通じて無所属を貫き、特定の政党の推薦を受けなかった。
ただし、みどりの政治運動とのつながりは持ち続け、緑の党グリーンズジャパンのサポーター会員となった。
尼崎市長3期12年の実績──財政再建と暴力団事務所ゼロ

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財政再建への道筋
稲村和美氏が市長に就任した2010年当時、尼崎市は深刻な財政難に直面していた。
尼崎市の財政状況(2010年時点):
- 多額の累積債務
- 財政調整基金の不足
- 将来負担比率の高さ
稲村和美氏は、「オール尼崎」で財政再建に取り組むことを宣言し、市民、職員、企業が一体となった改革を進めた。
主な財政再建策:
- 行政コストの削減
- 公共施設の統廃合
- 市有財産の売却
- 税収確保策の強化
稲村和美氏の3期12年の任期中、尼崎市の財政状況は着実に改善した。
2022年の退任式で、稲村和美氏は「文字通り『オール尼崎』で財政再建に道筋をつけられた。
市民の力を、心から誇りに思う」と述べた。
暴力団事務所ゼロの達成

稲村和美氏の最大の実績の一つが、暴力団事務所の完全排除である。
尼崎市は、かつて暴力団事務所が多数存在し、市民生活に大きな影響を与えていた。
稲村和美氏は、住民、行政、警察が一体となった「尼崎の挑戦」として、暴力団排除に取り組んだ。
暴力団排除の取り組み:
- 暴力団排除条例の制定
- 住民による監視活動の支援
- 警察との連携強化
- 暴力団事務所の閉鎖要求
稲村和美氏の任期中、尼崎市内の暴力団事務所はゼロとなった。
稲村和美氏は、この成果について「尼崎市の挑戦、ではなくて尼崎の挑戦なんです。住民、行政、警察などが一体となったからこそ言える」と強調した。
子育て支援と教育政策

稲村和美氏は、子育て支援と教育政策にも力を入れた。
主な子育て支援策:
- 保育所の増設
- 学童保育の充実
- 子育て世代の経済的負担軽減
- 子育て相談窓口の強化
稲村和美氏自身、夫と娘の3人家族であり、子育て世代の視点から政策を推進した。
USB紛失事件とその対応

2022年6月、稲村和美氏の市長任期の最終年に、大きな問題が発生した。
尼崎市が委託した業務で使用していたUSBメモリが紛失し、市民約46万人分の個人情報(氏名、住所、生年月日など)が保存されていたことが発覚した。
USB紛失事件の概要:
- 紛失時期:2022年6月
- 個人情報:市民約46万人分
- データ:パスワードで暗号化されていた
- 外部への情報漏洩:確認されず
稲村和美氏は、この問題について市民に謝罪し、再発防止策を講じた。
データはパスワードで暗号化されており、外部への情報漏洩は確認されなかったと報告されたが、個人情報管理の甘さが批判された。
稲村和美氏は、この問題の責任を取る形で、2022年12月の任期満了をもって市長を退任した。
現在話題、注目されている市長については、以下の記事で詳しく解説している。
政治家引退宣言と再び選挙へ──2024年兵庫県知事選挙出馬

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2022年12月尼崎市長退任と引退宣言
2022年12月1日、稲村和美氏は尼崎市長の退任式に臨んだ。
職員や市民ら約300人を前に、稲村和美氏は3期12年を振り返り、「文字通り『オール尼崎』で財政再建に道筋をつけられた。市民の力を、心から誇りに思う」と感謝を述べた。
そして、稲村和美氏は「今後選挙には出ず、政治家は引退する」と表明。
引退宣言の背景:
- 3期12年の市長職で燃え尽きた
- USB紛失事件の責任
- 家族との時間を大切にしたい
稲村和美氏の公式サイトには、「尼崎市長退任後も、元気に尼崎市民として夫と娘の3人暮らしです。政治家は引退し、今後は経験させていただいたことを少しでもお返ししていければと思っています」と記されている。
退任後の活動──講演、顧問、客員教授
尼崎市長退任後、稲村和美氏は精力的に活動した。
退任後の主な役職:
- 関西テレビのコメンテーター
- 講演会の講師
- 株式会社栄水化学の顧問(2023年3月就任)
- NPO法人ASKのエグゼクティブアドバイザー(2024年3月就任)
- 神戸新聞の客員論説委員(2024年4月就任、大型評論「針路21」の執筆を担当)
- 園田学園女子大学の経営学部ビジネス学科の客員教授(2024年6月就任)
稲村和美氏は、政治家を引退したものの、その経験を活かして様々な分野で活動を続けていた。
斎藤元彦前知事の失職と出馬決意

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2024年9月、兵庫県政は大きな混乱に陥った。
斎藤元彦兵庫県知事が、パワーハラスメントなどの疑惑を告発した文書問題で、県議会から不信任決議を受けた。
斎藤元彦氏は失職し、出直し選挙が行われることとなった。
稲村和美氏が出馬を決意したのは、斎藤元彦前知事が失職と出直し選挙出馬を表明した2024年9月26日だった。
出馬決意の背景:
- 半年に及んだ告発文書問題
- 百条委員会や第三者委員会の真っ只中
- 「議会や県民との信頼関係が崩れている。かつてない危機だ」という認識
- 阪神・淡路大震災から30年を目前に、歯がゆい思い
稲村和美氏は、周囲からの声に押され、「このままじゃだめだ。県民不在になっている。簡単な挑戦ではないが、今こそ風通しの良い県政、信頼される、連携できる県政にしなければ」と気持ちを固めた。
「このままではいけない」という思い

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2024年10月8日、稲村和美氏は兵庫県知事選挙に無所属で立候補することを正式に表明した。
稲村和美氏の主な公約:
- 「対話と信頼なくして、改革なし」
- 県政の立て直し
- 職員のモチベーションを生かす組織づくり
- 知事の顔色を見るのではなく、県民を見る県政
稲村和美氏は、「一度は政治家を引退すると言ったが、今の兵庫県政を見ていられない。県民不在の状況を変えなければならない」と出馬の理由を語った。
稲村和美氏の出馬は、「引退宣言」を覆すものだったが、多くの県民や市長たちから支持を受けた。
2024年兵庫県知事選挙──SNS選挙と敗北

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序盤の優勢と終盤の逆転
2024年10月31日、兵庫県知事選挙が告示された。
過去最多の7人が立候補したが、事実上、稲村和美氏と斎藤元彦前知事の一騎打ちとなった。
序盤の選挙情勢では、稲村和美氏がややリードしていると報道された。
序盤の情勢:
- 日本経済新聞の情勢調査:「稲村氏リード、斎藤氏が追う」
- 神戸新聞の情勢調査:「稲村氏リード、斎藤氏が追う」
しかし、終盤に入ると、斎藤元彦氏がSNSを活用して猛追した。
斎藤陣営のSNS戦略:
- 「勝手連」として集まったスタッフがSNSを駆使
- X(旧Twitter)、TikTok、InstagramなどでShortsを大量投稿
- 若年層への訴求に成功
日本経済新聞社などが投票所で実施した出口調査で、10〜30代の斎藤氏への投票数は稲村氏の3倍だった。
県内29市中22市の市長が支持表明

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終盤の11月14日、兵庫県内の市長のうち22名が「兵庫県市長会有志」として記者会見を開き、稲村和美氏への支持を表明した。
支持表明の背景:
- 斎藤元彦前知事のパワハラ疑惑への懸念
- 稲村和美氏の市長としての実績への評価
- 県政の立て直しへの期待
22名の市長が連名で「稲村和美を支持する表明」と題する文書を配布し、稲村氏への支持を表明。
しかし、この異例の支持表明は、後に公職選挙法違反(公務員の地位利用による選挙運動の禁止)に該当するのではないかという疑惑が浮上した。
選挙後の11月28日、参議院議員(NHK党)の浜田聡氏は弁護士の徳永信一氏と協力し、22名の市長の行為が公職選挙法違反に該当するのかを政府に確認する質問主意書を国会に提出。
2025年1月7日、元兵庫県川西市議の中曽千鶴子氏を告発人、徳永氏を告発代理人として、兵庫県警と神戸地検に告発状を送付して22名の市長を刑事告発した。
2025年2月5日に兵庫県警に受理され、同年11月12日に神戸地検は本件を不起訴(嫌疑不十分)とした。
SNSでの誹謗中傷と情報戦

選挙期間中、稲村和美氏はSNSでの誹謗中傷や真偽不明の情報に苦しめられた。
SNSでの問題:
- 稲村和美氏に関する虚偽情報の拡散
- 「県庁舎1000億円建て替え計画」などのデマ
- 稲村和美後援会のX(旧Twitter)アカウントが2度凍結される事件
稲村和美後援会は選挙期間中の2024年11月5日にXのアカウント運用を始めたが、翌6日に凍結。12日に別のアカウントを開設したが、約1時間後に凍結された。
選挙後の11月22日、後援会は選挙活動の妨害を目的とした虚偽の通報で2度にわたり凍結された疑いがあるとして、兵庫県警に被疑者不詳で偽計業務妨害容疑で告訴状を提出。
2025年6月20日、県警は容疑者不詳のまま捜査結果をまとめ神戸地検に書類送検し、同年11月12日、神戸地検は本件を不起訴(嫌疑不十分)とした。
稲村和美氏は、「主にネットの中でそういった言説が拡散される中で、情報量の違いであったり、今のメディアが一度何かを見ると、それと類似性のあるものがずっと表示されるという仕組みもあるのかなと思う」と振り返った。
13万票以上の大差で敗北

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2024年11月17日、兵庫県知事選挙が投開票された。
選挙結果:
- 当選:斎藤元彦 1,114,742票
- 落選:稲村和美 980,855票
- 差:133,887票
稲村和美氏は、序盤の優勢から一転、13万票以上の大差で敗北した。
投票率は55.65%で、前回(2021年)を14.55ポイント上回り、兵庫県知事選で投票率が50%を超えたのは2013年以来11年ぶりだった。
稲村和美氏は、午後8時40分ごろ、神戸市内の選挙事務所で支援者に向かって「選挙戦にお力添えをいただいた皆様に感謝申し上げます。その期待に応えられなかったことをお詫び申し上げます」と頭を下げた。
稲村和美氏の敗戦の弁:
「私個人の感想として、候補者の資質や政策を問う選挙というより、『何を信じるか』というのがテーマになった選挙に、結果的になったと感じている」
稲村和美氏は、「斎藤陣営が訴えていたストーリーと現実に少しズレがあるのでは。どちらかが正義でどちらかが悪というようになってしまった」と今回の選挙戦を振り返った。
斎藤元彦知事については、以下の記事で詳しく解説している。
稲村和美の家族とプライベート

夫と娘の3人家族
稲村和美氏は既婚で、夫と娘の3人家族である。
夫や娘の名前、顔写真などは公開されておらず、プライバシーが守られている。
稲村和美氏は、市長在任中も家族との時間を大切にし、子育て世代の視点から政策を推進してきた。
ピアノの先生になりたかった子ども時代

稲村和美氏は、子どもの頃、ピアノの先生になりたいと夢見ていた。
小学校・中学校・高校とずっと音楽系の部活・活動に打ち込み、音楽への情熱を育んだ。
しかし、阪神・淡路大震災のボランティア活動を経験したことで、政治家への道を選んだ。
稲村和美氏は、「ピアノの先生になりたかったけれど、震災を経験して、政治や行政の大切さを痛感した。人生は何が起こるか分からない」と語っている。
尼崎市民としての生活

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稲村和美氏の公式サイトには、「尼崎市長退任後も、元気に尼崎市民として夫と娘の3人暮らしです」と記されている。
稲村和美氏は、尼崎市に住み続け、市民としての生活を送っている。
2024年の兵庫県知事選挙で敗北した後も、稲村和美氏は尼崎市に住み、家族との時間を大切にしている。
稲村和美氏の公式サイトには、「現在、講演やお仕事の受付は原則停止しておりますが、再開の際にはこちらでお知らせいたします」と記されている(2025年時点)。
まとめ──稲村和美の政治家人生と引退宣言の行方

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阪神大震災から始まった政治家人生
稲村和美氏の政治家人生は、1995年の阪神・淡路大震災から始まった。
神戸大学法学部に通っていた稲村和美氏は、避難所でボランティアとして被災者の支援活動に携わり、「神戸大学総合ボランティアセンター」を設立した。
この経験が、稲村和美氏を政治の世界へと導いた。
証券会社を経て、2003年に兵庫県議会議員に初当選。2010年には38歳で尼崎市長に就任し、当時全国最年少の女性市長として注目を集めた。
稲村和美氏の政治家人生は、常に「市民と一体になって」という姿勢が貫かれていた。
尼崎市長としての実績と評価
稲村和美氏の尼崎市長3期12年の実績は、高く評価されている。
主な実績:
- 財政再建に道筋をつけた
- 暴力団事務所ゼロを達成
- 子育て支援の充実
- 市民参加型のまちづくり
明石市長を3期12年務めた泉房穂氏は、稲村和美氏について「県議時代も、市長時代も、無所属市民派としてやってこられた方でもある」と評価している。
一方で、USB紛失事件などの問題も指摘されており、評価は分かれる。
知事選敗北の意味

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2024年11月の兵庫県知事選挙で、稲村和美氏は斎藤元彦前知事に13万票以上の大差で敗北。
この敗北は、稲村和美氏にとって大きな挫折だった。
稲村和美氏は、「何を信じるかという選挙になってしまった」と振り返り、SNSでの情報戦に苦しめられたことを明かした。
知事選敗北の要因:
- SNSを活用した斎藤陣営の猛追
- 若年層の支持を得られなかった
- 誹謗中傷や真偽不明の情報の拡散
- 「具体的な政策がない」という批判
稲村和美氏は、敗戦後、「選挙はゴールではなくスタート。これからの兵庫県政が冷静にできる限り正確な情報と、建設的な議論に基づいて推進されることを心から願っています」と語った。
権力ウォッチの視点

『権力ウォッチ』は、稲村和美氏の今後の動向を注視する。
注目ポイント:
- 政治家引退宣言の行方──再び選挙に出馬するのか
- 兵庫県知事選挙での経験をどう活かすのか
- 市民派政治家としての今後の役割
- SNS選挙の問題点と民主主義
稲村和美氏は、2022年12月に「政治家は引退する」と表明したが、2024年10月には兵庫県知事選挙に出馬した。
知事選敗北後、稲村和美氏の公式サイトには「現在、講演やお仕事の受付は原則停止しております」と記されている。
稲村和美氏が再び選挙に出馬するのか、それとも政治家としてのキャリアを完全に終えるのかは、2025年時点では不明である。
しかし、阪神・淡路大震災から政治家を志し、尼崎市長として実績を残した稲村和美氏の政治家人生は、多くの人々に影響を与えたことは間違いない。
『権力ウォッチ』は、稲村和美氏の動向を今後も追い続ける。
市民派政治家としての稲村和美氏の経験は、地方政治における女性リーダーの可能性と課題を浮き彫りにしている。
SNS選挙の時代において、政策や実績よりも「何を信じるか」が重要になる選挙の在り方は、民主主義の根幹を揺るがす問題である。
稲村和美氏の政治家人生は、こうした現代政治の課題を映し出す鏡でもある。









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