「フジの天皇」──40年以上にわたりフジテレビを支配し、時の首相とたびたび会食を重ねた男がいた。
日枝久氏は、1961年にフジテレビに入社し、1988年に社長、2001年に会長に就任した。
2017年に取締役相談役に退いた後も「院政」を敷き、社内に絶大な影響力を保持し続けた。
2005年にはライブドアによる買収を阻止し、安倍晋三元首相との親交も深く、政財界に広範なネットワークを築いた。
しかし、2025年1月に発覚した中居正広氏を巡る女性トラブルへの対応が批判され、米ファンドから辞任を要求された。
2025年3月27日、取締役からの退任が決定し、2025年6月に正式に退任した。
日枝久氏の経歴、政治家との関係、フジサンケイグループを支配した手法、そして「フジの天皇」の終焉までを徹底解説する。
日枝久のプロフィール

| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 氏名 | 日枝久(ひえだひさし) |
| 生年月日 | 1937年12月31日(88歳・2026年時点) |
| 出身地 | 東京都(東京府生まれ) |
| 学歴 | 東京都立杉並高等学校、早稲田大学教育学部社会科卒業(1961年) |
| 現職 | 退任(2025年6月フジテレビ・フジメディアHD取締役相談役退任) |
| 前職 | フジ・メディア・ホールディングス取締役相談役、フジテレビジョン取締役相談役 |
| 経歴 | フジテレビ社長(1988年〜2001年)、フジテレビ会長(2001年〜2017年)、取締役相談役(2017年〜2025年) |
| その他役職歴 | 日本民間放送連盟(民放連)会長(2003年〜2006年)、フジサンケイグループ代表 |
| 家族 | 妻・加寿子(元フジテレビ社員)、長男・広道(元電通社員) |
| 受章歴 | 旭日大綬章(2013年)、大英帝国勲章ナイト・コマンダー章(2014年)、中華民国紫色大綬景星勲章(2023年) |
| 愛称 | フジの天皇 |
日枝久氏は、1937年12月31日に東京都(東京府)で生まれた。
2歳のとき父が死去し、四人の姉がいる末っ子として育った。
1961年に早稲田大学教育学部社会科を卒業し、フジテレビジョンに入社。
1988年に社長、2001年に会長に就任し、40年以上にわたりフジテレビを支配した。
2025年3月27日、中居正広氏を巡る女性トラブルへの対応が批判され、取締役からの退任が決定し、2025年6月に正式に退任した。
2026年2月現在、日枝久氏は完全に引退し、公的な活動は行っていない。
日枝久氏のようなテレビ業界の重鎮の経歴を理解するために、以下の書籍が参考になる。
日枝久氏が40年以上にわたり築いたフジテレビの黄金時代と、その後の衰退を理解する上で、テレビ業界の構造を知ることは重要である。
詳しい経歴──労組書記長から編成局長、そして社長へ

1961年、フジテレビ入社──労働組合の結成
日枝久氏は、1961年4月にフジテレビジョンに入社した。
当初は教員かジャーナリストを志望していたが、1960年7月の夏休みのある日、偶然通りかかった就職課の先生から「開局したばかりのフジテレビが実習生を募集している」と声を掛けられ、フジテレビの実習に応募したことがきっかけとなった。
日枝久氏は、入社後すぐに労働組合の結成に奔走し、労働組合の書記長に就任した。
労働組合活動を通じて、日枝久氏は社内での影響力を築いていった。
1980年、42歳で編成局長就任──鹿内春雄との出会い
1980年5月、日枝久氏は42歳の若さで編成局長に就任。
この抜擢は、フジサンケイグループ初代議長・鹿内信隆氏の長男である鹿内春雄副社長(当時)の推薦によるものであった。
鹿内春雄氏は、日枝久氏を「立場を超えた親友」と全幅の信頼を置いた。
日枝久氏は、鹿内春雄氏と共にフジテレビの改革を実行した。
1982年「ニューテレビ宣言」と視聴率三冠王

1982年3月、日枝久氏は「ニューテレビ宣言」を提言した。
この中で、編成が作るタイムテーブルこそがテレビ局の商品であり、局全体の力や勢い、イメージが反映されるとし、「テレビは編成が肝要」という考え方を打ち出した。
鹿内春雄氏は1981年に会長に昇格し、「楽しくなければテレビじゃない」をキャッチフレーズに「面白軽チャー路線」を掲げた。
フジテレビは、編成機能を強化し、次々と高視聴率番組を生み出していった。
代表的な番組:
- 『なるほど!ザ・ワールド』(1981年10月〜)
- 『オレたちひょうきん族』
- 『笑っていいとも!』
- 『夕やけニャンニャン』
フジテレビは、1982年から1993年まで視聴率三冠王(全日・ゴールデン・プライム)を12年連続で獲得し、黄金時代を築いた。
1983年6月、日枝久氏は取締役編成局長に就任し、1986年6月には常務取締役に昇格した。
1988年、鹿内春雄の急死と社長就任
1988年4月16日、鹿内春雄会長が急性肝不全により42歳の若さで急死した。
春雄氏の仮通夜で日枝久氏は、涙を隠さず号泣したとされる。
1988年4月19日午後、春雄氏の生前の意向に従い、鹿内信隆氏は社長人事を日枝久氏に内示した。
1988年6月、日枝久氏は生え抜き初の代表取締役社長に昇任した。
鹿内信隆氏は、鹿内家の世襲体制を維持するため、娘婿の佐藤宏明氏を養子に迎え、「鹿内宏明」としてフジサンケイグループ会議の三代目議長に据えた。
1992年、鹿内宏明解任クーデター
1990年10月28日、鹿内信隆氏が死去し、鹿内宏明氏が会長に就任した。
しかし、鹿内宏明氏はメディア業界での経験が皆無でありながら、現場に過度に干渉し、頭でっかちの指示を繰り返したため、社内の混乱を招いた。
鹿内宏明氏は、自らの出社・退社時には社員総出で出迎える様厳命するなど、専制君主的なワンマン経営を行った。
経営陣や社員の不満は日に日に増大していった。
1992年7月21日、フジ・サンケイグループ臨時株主総会で鹿内宏明会長を解任し、日枝久氏がフジサンケイグループ議長に就任し、鹿内一族の支配に終止符を打った。
このクーデターにより、日枝久氏はフジサンケイグループの絶対的権力者となった。
2001年、会長就任
2001年6月、日枝久氏は代表取締役会長に就任した。
社長時代の13年間、そして会長として、日枝久氏はフジテレビとフジサンケイグループを支配し続けた。
日枝久氏が行った鹿内宏明会長解任クーデターを理解するために、以下の書籍が参考になる。
日枝久氏のような企業内クーデターがどのように行われ、どのような影響を組織に与えるのかを理解する上で重要である。
フジテレビ黄金時代の終焉と長期低迷

1993年、山形テレビのネットチェンジ
1992年の鹿内宏明氏解任後、日枝久氏は組織の再編・体制固めに奔走した。
しかし、1993年4月1日、山形テレビがFNS(フジネットワーク)を脱退し、ANN(テレビ朝日系列)にネットチェンジする出来事が起きた。
日枝久氏など当時のフジテレビ経営陣は、山形テレビとネットチェンジに協力した山形放送(日本テレビ系列)に対してフジテレビ系列番組の番販購入禁止のペナルティを課した。
1994年、日本テレビに視聴率三冠王の座を譲る
1993年、『ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!』の撮影中にゲストの香港の歌手が転落事故死するアクシデントで番組が打ち切りとなった。
1994年、フジテレビはついに日本テレビに視聴率三冠王の座を譲ることとなった。
1982年から12年間続いた視聴率三冠王の座を失い、フジテレビの黄金時代が終わりを告げた。
2005年、ライブドアによる買収騒動

2005年、実業家の堀江貴文氏が率いるライブドアがフジテレビ買収を仕掛けた。
日枝久氏(当時会長)は、記者会見などに出席し、ライブドアによる買収を阻止するために奔走した。
最終的にライブドアによる買収を阻止した日枝久氏は、その後も社内での発言力を強め、その地位を確固たるものにした。
この買収騒動により、日枝久氏は一躍脚光を浴びた。
2011年、東日本大震災後の「軽チャー路線」批判
2011年3月11日、東日本大震災が発生した。
震災後の自粛ムードで、お笑いやバラエティーなど、フジテレビが得意としていた「軽チャー路線」が敬遠される風潮が広がった。
フジテレビは、様々な施策を行ったが効果が現れず、視聴率は長期低迷に陥った。
2017年、取締役相談役へ退任(表向き)
2017年6月、日枝久氏は視聴率長期低迷の責任を自ら取り、権限の無い取締役相談役に退任した。
しかし、これはあくまで表向きの話であり、実際には人事権などは引き続き掌握しているような状態であり、局内で日枝久氏は引き続き絶大な権力を持ち続けていた。
日枝久氏は「院政」を敷き、フジテレビを支配し続けた。
政治家との関係──安倍晋三元首相との親交

時の首相とたびたび会食
日枝久氏は、政財界に顔が広く、時の首相とたびたび会食を重ねていた。
過去の首相動静によると、歴代の首相と頻繁に会食していることが確認されている。
会食が確認されている首相:
- 森喜朗元首相
- 小泉純一郎元首相
- 安倍晋三元首相
- 菅義偉元首相
- その他歴代首相
日枝久氏と首相の会食は、政治とメディアの癒着として批判されることもあった。
安倍晋三元首相との深い親交

日枝久氏と安倍晋三元首相の親交は特に有名であった。
日枝久氏と安倍晋三氏は、ゴルフ仲間としても知られており、たびたび一緒にゴルフを楽しんでいた。
日枝久氏は、安倍晋三氏の政治活動を支援し、フジテレビの報道でも安倍氏に好意的な報道を行っていたとされる。
2022年7月、安倍元首相銃撃事件
2022年7月8日、安倍晋三元首相が奈良県奈良市で演説中に銃撃され、死亡した。
日枝久氏は、安倍元首相の遺体とも向き合ったとされる。
日枝久氏にとって、安倍晋三元首相は単なる政治家ではなく、親しい友人であったとされる。
政治家への影響力
日枝久氏は、フジテレビとフジサンケイグループを率いる立場から、政治家に対して大きな影響力を持っていた。
テレビは、世論形成に大きな影響を与えるメディアである。
日枝久氏は、フジテレビの報道内容をコントロールすることで、政治家に対して間接的に影響力を行使できる立場にあった。
政治家も、フジテレビとの良好な関係を維持することで、自らの政治活動に有利な報道を期待できた。
日枝久氏と政治家の関係は、メディアと権力の癒着の典型例として批判されることもあった。
日枝久氏と政治家の関係を理解するために、以下の書籍が参考になる。
日枝久氏のような財界人が政治家とどのような関係を築き、どのような影響力を行使しているのかを理解する上で重要である。
「フジの天皇」の権力支配──院政と絶対服従

社内での絶対的影響力
日枝久氏は、「フジの天皇」と呼ばれ、社内で絶対的影響力を誇っていた。
2017年に取締役相談役に退任した後も、実際には人事権などを引き続き掌握しており、「院政」を敷いていた。
社員たちは、日枝久氏に対して「直立不動」で絶対服従することが求められていたとされる。
日枝久氏は、ジャンパー姿で社員と気さくに会話する一方で、その裏では恐怖による支配を行っていたとされる。
人事権の掌握
日枝久氏は、フジテレビとフジサンケイグループ全体の人事権を掌握していた。
社長や会長などの経営陣の人事は、日枝久氏の意向で決定されていた。
日枝久氏に逆らうことは、社内での出世を諦めることを意味した。
子飼いの経営陣

日枝久氏は、自分の子飼いの人材を経営陣に配置していた。
経営陣は、視聴者ではなく日枝久氏の顔色をうかがっている状態であったとされる。
日枝久氏の子飼いの経営陣は、日枝久氏の意向に沿って経営を行い、日枝久氏の権力を維持する役割を果たしていた。
フジテレビ経営陣については、以下の記事で詳しく解説している。
株式保有と資産

日枝久氏は、フジ・メディア・ホールディングス(フジHD)の株式を大量に保有していた。
2024年6月時点で、フジHD株の所有数は23万3千株余りであった。
日枝久氏の年収は、2014年〜2018年の間、1億5千万円〜1億7千万円。
日枝久氏の自宅は、東京都渋谷区松濤の高級住宅街にある豪邸で、土地面積は250坪であった。
2018年には隣地100坪を買い取り、同様に地上2階地下1階の新家屋を建築。
家屋の資産価値は5億円以上とされ、総資産は15億円程度と推測されている。
日枝久氏は、株式保有と豊富な資産により、経済的にも強力な権力基盤を持っていた。
日枝久氏のような企業支配の実態を理解するために、以下の書籍が参考になる。
日枝久氏が株式保有と人事権掌握により企業をどのように支配したのかを理解する上で重要である。
2025年、中居正広問題と「フジの天皇」の終焉

2025年1月、中居正広氏の女性トラブル
2025年1月、元タレントの中居正広氏(52歳)が女性トラブルを理由に芸能界引退を発表した。
この問題を巡り、フジテレビの対応が批判された。
2025年1月23日、フジテレビは社員向け説明会を行った。
一部報道によると、社員から日枝久氏ら経営陣の辞任を求める声も上がったという。
米ファンド・ダルトンからの辞任要求
フジ・メディア・ホールディングス(HD)の株式を持つ米ファンドのダルトン・インベストメンツは、同取締役会に対し、日枝久氏辞任を求める書簡を2025年2月3日付で送ったと発表した。
書簡では「なぜ、たった一人の独裁者がこの巨大な放送グループを40年近くも支配することが許されてきたのか」と痛烈に批判。
日枝久氏こそが、今回の問題を巡る同社のガバナンス不全の最大の要因との指摘が相次いだ。
スポンサー企業の間でテレビコマーシャルを見合わせる動きが一向に止まらず、業績の大幅な悪化が見込まれるなど苦境に陥っていた。
2025年3月27日、取締役退任決定
2025年3月27日、フジテレビジョンとフジ・メディア・ホールディングス(HD)の2社は取締役会を開き、日枝久氏の取締役からの退任を決定。
事情に詳しい関係者によれば、これ以上日枝久氏が取締役で居続けることは困難だと判断した。
取締役会の前日である3月26日、フジ・メディアHD社長の金光修氏が日枝久氏の入院先を訪れ、日枝久氏の退任を含む今回の人事案について報告したという。
日枝久氏は、2025年2月末に自宅で骨折し、入院していた。
2025年6月、正式退任
2025年6月の株主総会で、日枝久氏の取締役相談役からの退任が正式に決定した。
日枝久氏の取締役在任期間は41年余りと異例の長期にわたっていた。
フジサンケイグループの代表も務めるなど、グループに大きな影響力を及ぼしてきたとされる。
「フジの天皇」として40年以上にわたりフジテレビを支配してきた日枝久氏の時代が終わりを告げた。
2026年2月現在、日枝久氏は完全に引退し、公的な活動は行っていない。
批判と評価──「フジの天皇」がもたらしたもの

黄金時代の功績
日枝久氏の功績として、フジテレビの黄金時代を築いたことが挙げられる。
1982年から1993年まで12年連続で視聴率三冠王を獲得し、「楽しくなければテレビじゃない」をキャッチフレーズに「面白軽チャー路線」を確立した。
日枝久氏の編成手腕により、フジテレビは日本のテレビ業界のトップに君臨。
早稲田大学から名誉博士号(2010年)、旭日大綬章(2013年)、大英帝国勲章ナイト・コマンダー章(2014年)など、多くの栄誉を受けた。
長期低迷の責任
一方、1994年以降のフジテレビの長期低迷の責任も日枝久氏にある。
日本テレビに視聴率三冠王の座を譲った後、フジテレビは様々な施策を行ったが効果が現れず、視聴率は低迷し続けた。
2017年に取締役相談役に退いた後も「院政」を敷き、経営に影響を与え続けたことが、フジテレビの低迷を招いたという批判がある。
ガバナンス不全
日枝久氏の長期支配は、フジテレビのガバナンス不全を招いた。
社員は日枝久氏の顔色をうかがい、視聴者のニーズよりも日枝久氏の意向を優先する体質が生まれた。
2025年の中居正広氏を巡る女性トラブルへの対応が批判されたのも、ガバナンス不全の表れであった。
米ファンドのダルトン・インベストメンツは、「なぜ、たった一人の独裁者がこの巨大な放送グループを40年近くも支配することが許されてきたのか」と痛烈に批判した。
院政批判
2017年に取締役相談役に退いた後も、日枝久氏は「院政」を敷き続けた。
株主総会では「日枝やめろ!」と怒号が飛び交ったこともあった。
日枝久氏の院政は、フジテレビの改革を阻害し、長期低迷を招いた要因の一つとされる。
日枝久氏の退任により、フジテレビが真の改革を実現できるかどうかが注目されている。
まとめ──日枝久と政財界ネットワークの実態

「フジの天皇」の40年
日枝久氏は、1961年にフジテレビに入社し、1988年に社長、2001年に会長に就任した。
2017年に取締役相談役に退いた後も「院政」を敷き、2025年6月まで40年以上にわたりフジテレビを支配した。
日枝久氏は、1982年から1993年までの黄金時代を築いた功績がある一方、1994年以降の長期低迷の責任も負っている。
2025年、中居正広氏を巡る女性トラブルへの対応が批判され、取締役からの退任を余儀なくされた。
「フジの天皇」として絶大な権力を誇った日枝久氏の時代が終わりを告げた。
政治家との癒着
日枝久氏は、時の首相とたびたび会食を重ね、政財界に広範なネットワークを築いた。
特に安倍晋三元首相との親交は深く、ゴルフ仲間としても知られていた。
日枝久氏と政治家の関係は、メディアと権力の癒着の典型例として批判されることもあった。
テレビは世論形成に大きな影響を与えるメディアであり、日枝久氏はフジテレビの報道内容をコントロールすることで、政治家に対して間接的に影響力を行使できる立場にあった。
メディアと権力の関係
日枝久氏の事例は、メディアと権力の関係を浮き彫りにした。
メディアは「第四の権力」と呼ばれ、政治や社会に大きな影響を与える。
しかし、メディアの経営者が政治家と深い関係を築くことで、メディアの公正性や中立性が損なわれる可能性がある。
日枝久氏と政治家の関係は、メディアが権力を監視する役割を果たせていないという批判につながった。
メディアと権力の癒着は、民主主義にとって重大な脅威である。
日枝久氏のようなメディアと権力の癒着を理解するために、以下の書籍が参考になる。
日枝久氏が政治家と築いた関係が民主主義にどのような影響を与えたのかを理解する上で、メディアリテラシーと権力監視の知識は重要である。
権力ウォッチの視点

『権力ウォッチ』は、日枝久氏のような権力者の動向を監視し続ける。
注目ポイント:
- フジテレビの今後の改革
- 日枝久氏退任後のガバナンス改善
- メディアと政治の関係
- 「院政」を排除できるか
- 視聴率低迷からの脱却
日枝久氏の事例は、一人の経営者が長期にわたり企業を支配することの弊害を示している。
コーポレートガバナンスの欠如、人事権の集中、政治家との癒着など、日枝久氏の長期支配がもたらした問題は多岐にわたる。
メディアは「第四の権力」として、政治や社会を監視する役割を果たすべきである。
しかし、メディアの経営者が政治家と深い関係を築くことで、メディアの公正性や中立性が損なわれる。
日枝久氏の退任により、フジテレビが真の改革を実現し、視聴者のためのテレビ局に生まれ変わることができるかどうかが注目される。
権力者の行動を監視し、批判すべきは批判し、評価すべきは評価することが、民主主義を守るために不可欠である。
「フジの天皇」の終焉は、メディアと権力の関係を見直す機会である。
【参考資料・出典】
本記事は以下の公開情報を基に作成されています。
公的資料・報道記事:
- Wikipedia「日枝久」(基本情報、経歴の裏取り)
- 早稲田大学「顕彰状 日枝久氏」
- 中日スポーツ・東京中日スポーツ「フジテレビの”天皇”日枝久相談役とはどんな人物か」(2025年1月28日)
- PRESIDENT Online「日枝久氏”外圧”で相談役辞任でも役員は子飼いだらけ」(2025年2月12日)
- 日刊ゲンダイDIGITAL「86歳日枝久氏が居座り続けるフジテレビの未来」(2024年6月13日)
- 東洋経済オンライン「『本当に影響がなくなるか甚だ疑問』・・・投資家は納得せず?フジテレビ日枝久取締役相談役(87)退任」(2025年6月3日)
- 明治日本の産業革命遺産「日枝久インタビュー」
注記:
- 本記事は公開されている報道情報および公的資料を基に作成されています
- 時系列は複数の報道機関の報道を照合し、正確性を確認しています
- 本記事は事実の客観的記述を目的としており、特定の政治的立場に偏らない中立的な記述を心がけています
- 日枝久氏の功績と批判の両方を公平に記述しています
- 2026年2月現在、日枝久氏は完全に引退し、公的な活動は行っていません
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