2023年12月22日、海上自衛隊史上初の女性海将(中将相当)が誕生した。
近藤奈津枝氏──山口県岩国市出身、山口大学卒業後、中学校の国語教師を経て1989年に海上自衛隊に入隊。母親の猛反対を押し切っての決断だった。
艦艇乗組を志望したが当時は女性に環境がなく、経理・補給職域で36年間のキャリアを積み、2016年に海上自衛隊初の女性海将補、そして2023年に自衛隊発足以来初の女性海将に昇任し、大湊地方総監に就任した。
2025年8月1日に退官するまで、「性別は意識しない」と語り続けた近藤奈津枝氏の経歴、自衛隊における女性の地位向上、そして「ガラスの天井」を破った功績を徹底解説する。
近藤奈津枝のプロフィール

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| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 氏名 | 近藤奈津枝(こんどうなつえ) |
| 生年月日 | 1966年1月13日(59歳・2025年退官時点) |
| 出身地 | 山口県岩国市 |
| 学歴 | 山口県立岩国高等学校卒業、山口大学人文学部語学文学科卒業(1988年3月) |
| 現在 | 元海上自衛官(2025年8月1日退官) |
| 最終階級 | 海将(海軍中将相当) |
| 最終役職 | 大湊地区総監(2025年3月24日〜2025年7月31日) |
| 主な経歴 | 統合幕僚監部首席後方補給官、大湊地方総監部幕僚長、海上自衛隊第4術科学校長、海上自衛隊幹部候補生学校長、大湊地方総監 |
| 専門分野 | 経理・補給、後方支援 |
| 特記事項 | 海上自衛隊史上初の女性将官(医官を除く)、自衛隊史上初の女性「将」、初の女性地方総監 |
近藤奈津枝氏は、1988年に山口大学を卒業後、中学校の臨時採用教員(国語)を経て、1989年3月に海上自衛隊に入隊した。
2016年12月に海上自衛隊史上、医官を除いた女性として初めて海将補(少将相当)に昇任。
2023年12月22日、自衛隊発足以来、陸海空を通じて初めて女性が「将」(中将相当)に昇任し、大湊地方総監に就任した。
2025年3月24日、大湊地方隊の改組に伴い初代大湊地区総監に就任し、同年8月1日に退官した。
詳しい経歴──中学教師から海上自衛隊へ

山口県岩国市での生い立ちと山口大学
近藤奈津枝氏は1966年1月13日、山口県岩国市に生まれた。
岩国市は、米軍岩国基地があることで知られる人口約13万人の都市である。
近藤奈津枝氏は、山口県立岩国高等学校を卒業後、1988年3月に山口大学人文学部語学文学科を卒業した。
大学卒業前に教員採用試験を受験したが、不採用となった。
中学校教師から自衛官への転身

1988年4月、近藤奈津枝氏は中学校の臨時採用教員(国語)として教壇に立った。
しかし、臨時採用であり、将来の安定性に不安を感じていた。
ある日、市役所で自衛官募集のパンフレットを見たことが、人生の転機となった。
近藤奈津枝氏は後に次のように語っている。
「多様な職域があって、活動がグローバル。教員は臨時でしたが、海上自衛隊の方は正職員であったこともあり、『自分が必要とされている』と強く実感しました」
母親は、娘が自衛隊に入ることに猛反対した。
女性自衛官が苦労することを懸念したためである。
しかし、近藤奈津枝氏は母親の反対を押し切り、1989年3月、海上自衛隊に入隊した。
当時23歳だった。
経理・補給職域でのキャリア構築

近藤奈津枝氏は、艦艇乗組を志望していた。
しかし、当時は女性が艦艇に乗り組むための環境(女性用設備)が整っておらず、艦艇乗組は叶わなかった。
近藤奈津枝氏は、経理・補給職域に進むこととなった。
経理・補給職域は、自衛隊の後方支援を担う重要な職域であり、予算管理、物資調達、補給などを担当する。
近藤奈津枝氏は、経理・補給職域で着実にキャリアを積み上げた。
主な経歴:
- 1989年3月:海上自衛隊に入隊
- 2010年1月:1等海佐に昇任
- 2011年4月:海上自衛隊艦船補給処管理部長
- 2012年8月:海上幕僚監部総務部経理課主計班長
- 2013年4月:海上幕僚監部総務部経理課経理兼経理班長兼主計班長
- 2013年12月:佐世保地方総監部経理部長
- 2015年9月:海上幕僚監部人事教育部厚生課長
近藤奈津枝氏は、海上自衛隊の経理・補給分野で着実に実績を積み上げ、幹部としての評価を高めていった。
海上自衛隊初の女性海将補へ

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2016年12月、近藤奈津枝氏は海上自衛隊史上、医官を除いた女性として初めて海将補(少将相当)に昇任した。
同時に、統合幕僚監部の幹部職である首席後方補給官にも女性として初めて就任。
首席後方補給官は、陸海空3自衛隊の後方補給を統括する重要なポストである。
近藤奈津枝氏は、統合幕僚監部で陸海空3自衛隊の後方支援を統括する経験を積んだ。
海将補就任後の主な経歴:
- 2016年12月:海将補に昇任、統合幕僚監部首席後方補給官
- 2018年12月:大湊地方総監部幕僚長(女性として初)
- 2020年12月:防衛装備庁総括装備調達官
- 2021年12月:海上自衛隊第4術科学校長
- 2022年12月:海上自衛隊幹部候補生学校長
近藤奈津枝氏は、海将補として海上自衛隊の要職を歴任し、自衛隊初の女性海将への道を歩んだ。
2023年12月──自衛隊史上初の女性「将」誕生

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海将昇任と大湊地方総監就任
2023年12月15日、防衛省は近藤奈津枝氏を海将に昇任させ、大湊地方総監に起用する人事を発表した。
2023年12月22日、近藤奈津枝氏は海将に昇任し、第51代大湊地方総監に就任した。
女性が海将に昇任するのは、海上自衛隊史上初めてである。
さらに、1954年の自衛隊発足以来、陸海空を通じて女性が「将」(中将相当)に昇任したのも初めてであった。
「将」とは何か──中将相当の階級

自衛隊の階級は、陸上自衛隊では「陸将」、海上自衛隊では「海将」、航空自衛隊では「空将」と呼ばれる。
これらは旧日本軍や諸外国の軍隊における「中将」に相当する階級である。
自衛隊の将官階級:
- 将(陸将・海将・空将):中将相当
- 将補(陸将補・海将補・空将補):少将相当
- 1等陸佐・1等海佐・1等空佐:大佐相当
自衛隊には「大将」に相当する階級は存在しない。
統合幕僚長や各幕僚長も「将」の階級である。
海将は、海上自衛隊において最も高い階級であり、2024年1月時点で海将は17名しかいない。
海将は、海上幕僚長、地方総監、自衛艦隊司令官など、海上自衛隊の最高幹部が就く階級である。
地方総監の権限と役割
大湊地方総監は、青森県むつ市にある大湊地方隊を統括する海上自衛隊の地方総監である。
地方総監は、旧日本海軍の鎮守府司令長官に相当する重要なポストだ。
地方総監の役割:
- 地方隊の部隊を指揮
- 担当海域の防衛警備
- 災害派遣の指揮
- 地域との連携
大湊地方隊は、津軽海峡を眼前に擁し、日本海から太平洋に繋がる戦略的要衝を担当している。
近藤奈津枝氏は、大湊地方総監として、北海道・東北地方の海上防衛と地域連携を統括した。
「ガラスの天井」を破った意義

近藤奈津枝氏の海将昇任は、自衛隊における「ガラスの天井」を破った歴史的出来事である。
1954年の自衛隊発足から69年間、女性が「将」に昇任することはなかった。
近藤奈津枝氏は、女性自衛官のロールモデルとして、後進に道を開いた。
しかし、近藤奈津枝氏自身は「性別は意識しない」と語り続けた。
「与えられた任務や目標をチームで達成すること」を常に考え、性別を意識することなく職務に専念してきたという。
近藤奈津枝氏の海将昇任は、自衛隊における女性活躍の象徴であると同時に、実力主義が機能している証でもある。
現在話題、注目されている自衛隊幹部については、以下の記事で詳しく解説している
大湊地方隊の改組と退官──36年間のキャリアの終焉

大湊地方隊から大湊地区隊へ
2025年3月24日、海上自衛隊の組織改編が行われた。
大湊地方隊は、横須賀地方隊に統合され、「横須賀地方隊 大湊地区隊」として再編された。
これに伴い、近藤奈津枝氏は初代大湊地区総監に就任。
大湊地方総監から大湊地区総監への役職変更は、組織改編に伴うものであり、近藤奈津枝氏の任務内容に大きな変更はなかった。
初代大湊地区総監としての最後の任務
近藤奈津枝氏は、大湊地区総監として、大湊地区隊の再編を指揮した。
組織改編は、海上自衛隊の統合運用を強化するためのものであり、近藤奈津枝氏は新体制への移行を円滑に進めた。
2024年9月には、多用途支援艦「すおう」に自ら乗り込み、北海道留萌港を訪問するなど、地域との連携も継続。
2025年8月1日──離任式と退官

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2025年7月31日、青森県むつ市の海上自衛隊大湊基地で、近藤奈津枝大湊地区総監の離任式が行われた。
総監部の隊員らに見送られた近藤奈津枝氏は、海上自衛隊伝統の「帽振れ」で別れを惜しんだ。
停泊する護衛艦の甲板で敬礼する隊員に対し、大きく手を振り別れを告げた。
2025年8月1日、近藤奈津枝氏は海上自衛隊を退官した。
36年間の自衛官人生に幕を下ろした。
36年間の自衛官人生

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近藤奈津枝氏は、1989年3月に海上自衛隊に入隊してから2025年8月1日に退官するまで、36年間にわたり自衛官として勤務。
中学校の臨時採用教員から海上自衛隊に転身し、経理・補給職域で着実にキャリアを積み上げ、海上自衛隊初の女性海将補、そして自衛隊史上初の女性海将へと上り詰めた。
近藤奈津枝氏の36年間は、自衛隊における女性の地位向上の歴史そのものである。
退官後の近藤奈津枝氏の動向は明らかになっていないが、自衛隊における女性活躍のロールモデルとして、その功績は語り継がれるだろう。
自衛隊における女性の地位向上──近藤奈津枝が切り開いた道

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自衛隊における女性の歴史
自衛隊における女性の歴史は、1954年の自衛隊発足時にさかのぼる。
当初、女性自衛官は看護師などの医官や事務職に限定されていた。
1970年代以降、女性自衛官の職域は徐々に拡大し、1993年には女性自衛官の艦艇乗組が解禁された。
2015年には、女性初の戦闘機パイロットが誕生するなど、女性自衛官の活躍の場は着実に広がってきた。
女性自衛官の主な「初」:
- 1975年:佐伯光氏が自衛隊初の女性将官(医官・海将補)
- 1991年:梶田ミチ子氏が医官を除いて自衛隊初の女性将官(航空自衛隊・空将補)
- 2001年:柏原敬子氏が医官・営門将補を除いて自衛隊初の女性将官(航空自衛隊・空将補)
- 2011年:横田紀子氏が陸上自衛隊初の女性将官(陸将補)
- 2016年:近藤奈津枝氏が海上自衛隊初の女性将官(海将補、医官を除く)
- 2023年:近藤奈津枝氏が自衛隊史上初の女性「将」
女性自衛官の現状と課題

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近藤奈津枝氏が入隊した1989年当時、女性自衛官は圧倒的な少数派だった。
近藤奈津枝氏は、遠洋練習航海に参加できなかったというエピソードを語っている。
遠洋練習航海は、幹部自衛官への第一歩を踏み出す重要な機会であるが、当時は女性には参加する機会すら与えられなかった。
現在でも、自衛隊における女性の割合は約9%程度にとどまっている。
女性自衛官が活躍できる環境整備は進んでいるものの、まだ課題は多い。
近藤奈津枝が後進に残したもの
近藤奈津枝氏は、後進の女性自衛官に対し、次のようなメッセージを残している。
「これからの時代は、性別によってチャンスを摘み取ってはならない」
近藤奈津枝氏は、自らのキャリアを通じて、女性自衛官にも「将」への道が開かれていることを示した。
近藤奈津枝氏の存在は、後進の女性自衛官にとって大きな励みとなっている。
女性活躍と実力主義

近藤奈津枝氏は、「性別は意識しない」と語り続けた。
近藤奈津枝氏が重視したのは、「与えられた任務や目標をチームで達成すること」である。
近藤奈津枝氏の海将昇任は、性別ではなく実力によって評価された結果だ。
自衛隊における女性活躍は、単なる「女性枠」ではなく、実力主義が機能している証。
近藤奈津枝氏のキャリアは、自衛隊における女性活躍と実力主義の象徴である。
近藤奈津枝の人物像──「国を守る、国民を守る」

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口癖は「国を守る、国民を守る」
近藤奈津枝氏の口癖は、「国を守る、国民を守る」である。
自衛官としての使命感を常に持ち続け、部下にもその姿勢を示してきた。
近藤奈津枝氏は、2024年6月の「女性自身」のインタビューで、A4用紙17枚にも及ぶ詳細な文書回答を寄せた。
「通常、部下に草案を書いてもらったりするものですが、この回答はほぼすべて私が書いたものです」
近藤奈津枝氏の真摯な姿勢が伝わるエピソードである。
持ち歌は振り付けも完璧な『女々しくて』

近藤奈津枝氏は、ゴールデンボンバーの『女々しくて』を持ち歌としており、振り付けも完璧にこなすという。
「この前、女友達とゴルフに行ったのですが、(クラブハウスの)オムライスが3千円ですよ!」
インタビューでこのように語るなど、親しみやすい人柄も持ち合わせている。
海将という重責を担いながらも、庶民的な感覚を失わない近藤奈津枝氏の人柄が垣間見える。
リーダーシップと人柄
近藤奈津枝氏は、リーダーとして部下から厚い信頼を寄せられている。
「与えられた任務や目標をチームで達成すること」を常に考え、部下とのコミュニケーションを大切にしてきた。
近藤奈津枝氏は、「性別は意識しない。隊員が幸せに仕事をできる環境を整える」と語っている。
近藤奈津枝氏のリーダーシップは、性別を超えた実力と人格によるものである。
プライベート

近藤奈津枝氏のプライベートについては、多くが非公開となっている。
結婚や家族についての情報は公開されていないが、2017年6月の東レ経営研究所が行った「~魅力あふれる女性リーダー特集~」でのインタビューでこのように語っている。
̶̶自衛官といえば、どうしても男性のイメージがあ
ります。男性自衛官が多い中で、女性として苦労した
点はありますか。近藤 あまり思い浮かびません(笑)。独身で子供
もいないので、ほぼ独身の男性と同じ感覚です。
唯一残念だったのは、私の時代は、江田島の幹部
候補生学校を卒業したとき、ほかの男性自衛官が
経験した遠洋練習航海に参加できなかったことで
す。それどころか、護衛艦にも乗れませんでした。
女性用寝室のない時代で、物理的な問題だったと
思いますが、大変悔しい思いをしました。https://web.archive.org/
これを見ると2017年、今から8年前、近藤奈津枝海将は51歳時点では結婚していないということになる。
近藤奈津枝氏は、山口大学の同窓会である「ホームカミングデー」で特別講演を行うなど、母校との交流を続けている。
2024年11月の山口大学での講演では、「今の時代に学生たちへ伝えたいこと」について語った。
批判と課題──女性活躍の光と影

「女性初」という称号の意味
近藤奈津枝氏は、「女性初」の海将として注目を集めた。
しかし、「女性初」という称号は、裏を返せば、これまで女性がその地位に就くことができなかったことを意味する。
近藤奈津枝氏自身は、「性別は意識しない」と語り続けたが、周囲は常に「女性初」という点に注目した。
「女性初」という称号が不要になる時代が、真の男女平等と言えるのかもしれない。
自衛隊における女性活躍の課題

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自衛隊における女性の割合は、約9%程度にとどまっている。
これは、諸外国の軍隊と比較しても低い水準である。
課題:
- 女性自衛官の割合の低さ
- 女性が活躍できる職域の限界
- 育児と仕事の両立支援
- 男性中心の組織文化
自衛隊は、女性活躍を推進しているが、まだ多くの課題が残されている。
実力主義と女性枠のバランス
近藤奈津枝氏の海将昇任は、実力によるものである。
しかし、一部では「女性枠」ではないかという見方があるのも事実。
実力主義と女性活躍推進のバランスは、難しい問題である。
近藤奈津枝氏のキャリアは、実力主義が機能している証であるが、同時に、女性が「将」に昇任するまでに69年かかったという事実も無視できない。
ガラスの天井は本当に破られたのか
近藤奈津枝氏は、「ガラスの天井」を破ったと評価されている。
しかし、近藤奈津枝氏に続く女性海将は、まだ誕生していない。
近藤奈津枝氏が退官した後、女性海将が再び誕生するのか、それとも近藤奈津枝氏が例外的な存在だったのか?
真の意味で「ガラスの天井」が破られたと言えるのは、女性が「将」に昇任することが当たり前になった時である。
近藤奈津枝氏の功績は大きいが、自衛隊における女性活躍の道はまだ始まったばかりである。
まとめ──近藤奈津枝と女性自衛官の未来

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中学教師から海将への36年間
近藤奈津枝氏は、山口県岩国市の中学校で臨時採用教員として教壇に立っていた。
市役所で見た自衛官募集のパンフレットをきっかけに、母親の猛反対を押し切って海上自衛隊に入隊。
艦艇乗組を志望したが叶わず、経理・補給職域で36年間のキャリアを積み上げた。
2016年に海上自衛隊初の女性海将補、2023年に自衛隊史上初の女性海将に昇任し、大湊地方総監に就任した。
2025年8月1日、近藤奈津枝氏は海上自衛隊を退官した。
女性自衛官のロールモデル

近藤奈津枝氏は、女性自衛官のロールモデルである。
「性別は意識しない」と語り続け、実力によって海将に昇任した近藤奈津枝氏のキャリアは、後進の女性自衛官に希望を与えた。
近藤奈津枝氏が切り開いた道は、後進の女性自衛官によって受け継がれるだろう。
自衛隊における女性活躍の展望

自衛隊における女性の割合は、約9%程度にとどまっている。
女性自衛官が活躍できる環境整備は進んでいるが、まだ課題は多い。
近藤奈津枝氏の退官後、女性海将が再び誕生するのか、それとも近藤奈津枝氏が例外的な存在だったのか。
真の意味で「ガラスの天井」が破られたと言えるのは、女性が「将」に昇任することが当たり前になった時である。
権力ウォッチの視点

『権力ウォッチ』は、自衛隊における女性活躍の動向を今後も追い続ける。
注目ポイント:
- 近藤奈津枝氏に続く女性海将の誕生
- 自衛隊における女性の割合の推移
- 女性自衛官が活躍できる環境整備
- 実力主義と女性活躍推進のバランス
- 自衛隊の組織文化の変革
近藤奈津枝氏は、軍事的な権力ではなく、自衛隊における女性活躍の象徴である。
しかし、近藤奈津枝氏の海将昇任は、自衛隊における権力構造と女性の地位を考える上で重要な出来事だ。
自衛隊は、日本の防衛を担う組織であり、その組織における女性の地位は、日本社会における女性の地位を映す鏡でもある。
近藤奈津枝氏が切り開いた道が、真の意味で女性自衛官の未来を照らすものとなるのか──
『権力ウォッチ』は、自衛隊における女性活躍の実態を中立な立場で監視し、報道し続ける。


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